シュエタゴーン・パヤーはゆっくりと闇に包まれる。
しかし参拝客はどんどん増え、境内はライトアップされ、なんだかお祭りの夜店のような賑わいだ。

お坊さんが読経している祈祷堂は、信者で満員。ライトアップ目当ての外国人観光客も多いが、それ以上に、お祈りに来た地元の人々が多い。暗い中で灯りに照らされた黄金は、渋い輝きを放ち、じわっと有難みが伝わってくる。

もちろん大仏塔にもライトが当てられ、闇の中で荘厳な輝きを放つ。
太陽の光で輝く姿も美しかったが、闇に浮かび上がる姿は、それ以上に美しいかもしれない。

ふもとの小仏塔にもネオンの明かりが灯り、何とも言えない妖しさを醸しだす。
仏様の「後光」はまだわかるとして、仏塔の周りにまで電飾を巻きつけるのはどういう感覚なんだろう。普通我々がイメージする仏教寺院とは対極のイメージだけに、興味深い。もちろん電気が普及する前にはこんな風習はなかったはずで、いつ、どんなきっかけでこんなのが広まったのか調べてみようと思ったのだが、ネット上では全然それらしき情報は見つけられなかった。

でも慣れると、なんかこれはこれで神聖な感じがして見えてくる(笑)。

ミャンマーの一般市民は、何をお祈りしているのだろう。
これから急激な西欧文化、資本主義の流入で、社会が激しく変わっていくのは避けられないだろうが、彼らは信仰心を失わずに、こうやってお祈りに来るだろうか。

壁際のほうの、人通りが少ないあたりに来ると、これはこれで実に味わい深い。
仏様たちと、ゆっくり一対一で対峙する。それは、実は、自分と対峙しているのかもしれない。
おかしなことを言うように聞こえるかもしれないが、僕はここで随分とリフレッシュされた気がする。

ちょうど夕暮れから日没までの時間を過ごせたので、なんだかんだでここには2時間ぐらい居た。運転手の兄ちゃん、待ってるだろうな〜と思いつつ。まだこの国はケータイ普及率が高くないようで、いつでもどこでも携帯で話している他の東南アジア諸国に比べると、その点で時間の流れがゆったりしているように思う。思えば、我々も携帯を持たない頃って、待ち合わせで待たされたりするのって、当たり前のことだった。あの頃の感覚が、今でもミャンマーでは通用する気がする。と遅くなった言い訳をしつつ、あともうちょっとだけ、この場を堪能する。
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