hungry travelog
美しい海。うまいメシ。豪華なホテル。アジア方面の旅の記録。
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アグラの世界遺産、アグラ城にて。インドに到着してから実はまだ40時間ほどしか経っていないが、もうこれが5つめの世界遺産(笑)。

ジャハンギール宮殿の中に入っていく。前回書いた通り宮殿と言っても、今は豪華な内装や家具なんてのは何も残されていない。それでも、建物の造形の美しさは味わえる。

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宮殿のいちばん奥は、外の世界に面している。
こうしてところどころが出窓のようになっていて、ここに立つと周囲180度が「外」なので、お城の中にしてはとても開放感がある。

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反対側。こっちには、赤い壁の上に白い建物が建つ。デリーのレッド・フォートも同じだったが、赤い城と言っても赤いのは城壁などの周囲だけで、王族用の建物などはやっぱり豪華な大理石造りだ。

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そして、ここから、川の向こうに見えるのが、タージ・マハル。
靄がかかって霞んで見えるが、実際には2キロも離れていない。

この景色には、有名な逸話がある。
今まで何度も話題に出した第5代皇帝シャー・ジャハーンは、タージ・マハルやらデリーのレッド・フォートやら、巨大な建築物を次々に建て、更には川をはさんで「黒いタージ・マハル」の建築まで計画。流石にムガール帝国は財政に行き詰まり、とうとう見かねた息子がシャー・ジャハーンを捕らえ、ここアグラ城に幽閉した。シャー・ジャハーンは、亡き王妃の眠るタージ・マハルをこの窓から眺め、悲しみに暮れながら晩年を過ごした。
というのが、一般的なお話。

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しかし、どうやらこの話は観光客向けにちょっとセンチメンタルに誇張されているようだ。
実際には当時、強大なムガール帝国の財政は別に困っていなかったようだし、息子がシャー・ジャハーンを幽閉したのは事実だが、それは父親が散在するのを見かねたわけではなく、身内の権力争いが理由だ。

シャー・ジャハーンは1657年に病気になった際、自分の後継者に長男のダーラー・シコーを指名した。しかしこれに三男のアウラングゼーブが猛反発。弟と手を組んで長男・次男を殺し、しまいには弟も殺し、力ずくで王位後継者の地位を奪った。更に長男の肩をもった父親を恨み、アグラ城に閉じ込めた。
王位についたアウラングゼーブはインド南部などに何度も大規模な軍事遠征を行って帝国の領土を拡大し、ついにムガール帝国の歴史上最大の領土となった。しかしこの軍事遠征が、帝国の財政を困窮させた。つまりムガール帝国の弱体化はシャー・ジャハーンが建築マニアだったせいではなく、息子アウラングゼーブの強烈な支配欲のせいだった。

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力ずくで併合された地域では反発も強く、それを押さえつけるだけの潤沢な財政もなく、ムガール帝国は急速に弱体化・分裂し、とうとうそれがイギリスによる侵略につながってしまう。

こうしてみるとアウラングゼーブってのはダメダメな人のようだが、アグラ城を建てた3代皇帝アクバル以来、ムガール帝国が進めてきたイスラムとヒンドゥの融和路線にストップをかけ、イスラム優位を明確に打ち出してシャリーア(イスラム法)の厳格な適用を復活させたのがアウラングゼーブだった。故に、もともとはインドと同じ国だったのを「宗教」で国境線を引いてイスラム国となった隣国パキスタンでは国民的な英雄として見られるらしい。インドでは逆にアクバルが尊敬される。

この辺の白大理石の建物はアクバルが築城当初に造ったものではなく、後にシャー・ジャハーンが増築したもの。
細かな装飾が今でも美しいが、かつてはここに宝石が埋め込まれ、色んな宝飾品で飾られていたのだろう。

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自分の兄弟を3人とも殺したアウラングゼーブは、父親を幽閉こそしたものの、命を奪いはしなかった。
更に、父が亡くなった後も、その亡骸は愛する妃が眠るタージ・マハルの、王妃の隣に納められた。
これをアウラングゼーブが見せた「優しさ」だと説明する人もいるが、逆に、それこそが彼の残虐な復讐だったのだという解釈もある。

イスラム建築、中でもとくにタージ・マハルは、徹底してシンメトリーにこだわって、完璧な美しさを保っている。ところが、1か所だけ、その完璧な左右対称のバランスが崩れているところがある。
残念ながら自分の撮った写真ではよくわからないのでちょっと拝借するが、右側の棺が王妃ムムターズ・マハルのお墓。もともとここはムムターズ・マハルのために建てたものだから、当然建物の中央に配置される。左側の、一回り大きいのがシャー・ジャハーンの棺。装飾などは立派だが、いかにも後から追加した感じの、居心地の悪い配置だ。何よりも、この美しい建物の中で、この完璧にバランスが保たれたタージ・マハルの中で、いちばん肝心な中心部だけ左右対称のデザインが崩れている。
これは、アウラングゼーブが故意にやったのだとも解釈できる。単にデザインとかに無頓着な人だったと考えられなくもないが。

この白い建物、ムサンマン・ブルジュというのが、晩年のシャー・ジャハーンの居室。もともとはシャー・ジャハーンが王妃の居室として建てさせたものなので豪華な造りで、壁には宝飾品を飾るための穴がある。床に模様が彫られているが、これはなんと噴水だそうだ。暑いインドでも、これだけ風通しがよく、涼しげな噴水も加われば、かなり快適だろう。

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外側はバルコニーのようになっていてとても明るく、開放的だ。眼下に広がるヤムナー川、向こうにはタージ・マハルも見えて、普通の状況ならば最高の部屋だ。
(上から3枚目の写真で見えていた部分)

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中庭を囲むようにして先ほどのムサンマン・ブルジュや、王の居室カース・マハール(この写真で正面に見えているやつ)、貴賓謁見の間であるディワーニ・カース、一般謁見の間ディワーニ・アームなどの建物がコの字型に連なっている。このお城の中は建物の位置関係を把握するのが難しく、ラッキーにぐいぐい連れ回されただけではどの建物がどれやらさっぱりわからなかった。後で写真を見ながら地図とかWeb上の情報を見て、ようやく整理がついた。

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一般謁見の間ディワーニ・アーム。
ここも壁には宝物が飾られていたであろう穴だけが残されている。薄汚れていてちょっと寂しげだ。

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敷地内ではリスが餌付けされている。ちょろちょろ走り回る姿は可愛いが、これだけたくさん逃げもせずに一か所に集まっていてる姿は、なんか逆にちょっと気持ち悪かったりもする。

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