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hungry travelog
美しい海。うまいメシ。豪華なホテル。アジア方面の旅の記録。
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シーギリヤ・ロックの中腹から、いよいよ頂上に向けて出発。
最後がいちばんの難所で、この階段を登る。まあ、この角度で見るとそれほど怖くないのだが、実際は...

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こんな風に、何もない空に向かって階段を登って行く。本当に、空に向かって歩いているようで、かなりスリリング。風も吹いているので、さすがに誰もがしっかりと手すりを握りながら歩く。

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途中から上りと下りで階段は分かれる。どっちにしても一人分の幅しかないので、前でお年寄りがゆっくりゆっくり進んでたりするといつまでもここで風に吹きさらされないといけない(下りがそうだった)。

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これを登りきると、頂上だ!
かつての王宮の跡、といっても建物は何も残っておらず、基礎があるだけ。マチュピチュや、最近流行の竹田城跡(の画像)なんかで見た光景だ。あと、「天空の城ラピュタ」がよく引き合いに出される。

見渡す限りの森、山。ここに都が築かれたという1500年前と、きっとあまり変わらない風景だろう。
ここに都を築いたカーシャパ王について。アヌラーダプラに都があった時代。ダートゥセーナ王にはカーシャパと、その弟モッガラーナという2人の息子がいた。しかしカーシャパの母親は平民の血筋なのに対し、弟モッガラーナの母親は王族なので、モッガラーナが王位を継承するのではないか... とカーシャパは恐れ、父親を監禁して王位を剥奪する。
弟モッガラーナは身の危険から、いったん南インドへ亡命した。

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カーシャパは、隠してある財産をすべて差し出すよう父親に要求するが、父親がそれに応えなかったため、殺してしまう。その後カーシャパは狂ったのか、あるいは弟の復讐を恐れたのか、アヌラーダプラから離れ、陸の孤島とも言える切り立ったシーギリヤの岩の上に宮殿を築き、都を置いた。

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11年後、軍勢を整えた弟モッガラーナが南インドから攻めてくるとカーシャパの軍は破れ、カーシャパは自害した。
モッガラーナはシーギリヤを仏教施設として寄進し、都をアヌラーダプラに戻した。

もともとは「シーギリヤ・レディ」が描かれる岩肌以外にも、色々なところに壁画があったのだが、仏教施設として使われた時代に、修行の妨げになるからと意図的に削られて消されてしまったのだそうだ。

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「王のプール」は今もなみなみと水を湛える。雨が少ない地域なので雨水ではなく、「岩」の上なので湧き水というわけでもなく、なぜ水が満ちているのかは謎、なのだそうだ。

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頂上を一通りうろうろして20分ぐらい。180メートル×100メートルほどの敷地が、かなりしっかり整備された状態で残っている。ここにびっしりと宮殿が建っていたら、それはさぞかしインパクトのある光景だったことだろう。

何でこんな都から離れたところに宮殿造るんだよ... と家臣たちは不満をもっただろうし、ここに宮殿を造らされた労働者たちは命懸けで働かされて不満をもっただろうし、弟に攻められるまでもなく滅びる運命だった気はするが、何にしろ、ここに都を造ってしまったという実行力は、凄い。

さて、下りは、またあの階段だ...

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