コロンボ、グランド・オリエンタル・ホテルの外観。正面玄関の上の「GOH」というロゴが、ホテル内のタオルから食器まであらゆるものにプリントされている。
右側の青い看板は、警察署本部。なので写ってないけど、高いところで銃を持った警官がこっちを監視してるw
それにしてもこの空の色!さっきまでザーザー降ってたくせに。

ホテルがあるのは、フォート地区のいちばん港側。この地区には警察本部のほか中央銀行や大統領官邸もあり、この国の中枢とも言える。かつては国会議事堂もあったが、首都は1985年に南隣のスリジャヤワルダナプラコッテに移されているので、今は政治機能はない。
ちなみにスリジャヤワルダナプラコッテという無茶な名前だが、その意味がわかれば覚えやすい。
「スリ」=スリランカのスリと同じで、「光り輝く」
「ジャヤワルダナ」=遷都を決めた大統領の名前であり、この街のかつての名前。1415年にコーッテ王朝の首都としてジャヤワルダナと呼ばれた。ジャヤワルダナの意味は「勝利をもたらす」
「プラ」=街
「コッテ」=元々の街の名前
さらにちなみに、ジャヤワルダナ大統領は1951年のサンフランシスコ講和会議に当時のセイロン代表として(大蔵大臣として)出席し、ソ連などにより日本分割統治案が出される中、Hate ceases not by hatred, but by love という仏陀の言葉を引用して参加国に寛容の精神を求め、日本を救ってくれた恩人である。
コロンボ市の人口は約75万、都市圏人口は200万。バンコク、マニラ、ホーチミン、KL、さらにはインドの諸都市といったアジアの大都市に比べるとかなり小ぶりで、高層ビルが建つのもこの一角だけ。手前に写る電話の像は、謎だ。

フォート地区から、一般庶民でにぎわうペター地区へと足を進める。
日曜日の朝なので閉まっている店が多い。路地を歩いていて感じるのは、ここはインドよりは東南アジアの街に近い、ということだ。我々のように明らかに異質な人間が下町を歩いていても、人々の視線が(インドのように)グサッ!とこないのは、有難い。
建ち並ぶビルに混じっていきなりヒンドゥ寺院が出現(右手)。

そうは言ってもやっぱりインドの影響は避けようもなく、とくにヒンドゥは、この国の仏教の中に溶け込んでいるとも言える。ここは完全なヒンドゥの寺院だが、仏教寺院に行ってもヒンドゥの神様が祀られていたりする。

もう少し行くと、今度はイスラムのモスク。ジャミ・ウル・アルファー・モスクと言って、観光地の少ないコロンボでは有名な観光スポットだというが、ちょっと路地に入ったところなので場所はわかりにくい。まあ、この外観なのでちょっと遠くからでも分かるんだけど。ミナレットを増設しようとしてるのか、工事中でちょっと残念な状態。
それにしても、このデザインのインパクトは凄い。

ペター地区のメイン通りはこんな感じ。小規模な商店がずらっと並び、派手に看板を掲げる。シンハラ語とタミル語が公用語だが、看板はほとんどが英語だ。道を走るのはほとんどがバスか、トライシクル(トゥクトゥク)の公共交通機関で、アジアの都市に多い「バイクの洪水」は見られない。その意味ではヤンゴンに、雰囲気が似ている。
ほとんどの店が閉まってるので人がまばらだが、普段はもっと人で溢れてる状態なのだろう。
右端にちらっと写ってる、すれ違いざまににやっと笑顔を向けるお兄ちゃん。これがインドとスリランカの最大の違いのような気がする。人の視線と、表情が柔らかい。決して多くはないが、一部日本人に熱烈なスリランカファンがいるのは、こういうところに居心地の良さを感じるからかな〜と思う。


右側の青い看板は、警察署本部。なので写ってないけど、高いところで銃を持った警官がこっちを監視してるw
それにしてもこの空の色!さっきまでザーザー降ってたくせに。

ホテルがあるのは、フォート地区のいちばん港側。この地区には警察本部のほか中央銀行や大統領官邸もあり、この国の中枢とも言える。かつては国会議事堂もあったが、首都は1985年に南隣のスリジャヤワルダナプラコッテに移されているので、今は政治機能はない。
ちなみにスリジャヤワルダナプラコッテという無茶な名前だが、その意味がわかれば覚えやすい。
「スリ」=スリランカのスリと同じで、「光り輝く」
「ジャヤワルダナ」=遷都を決めた大統領の名前であり、この街のかつての名前。1415年にコーッテ王朝の首都としてジャヤワルダナと呼ばれた。ジャヤワルダナの意味は「勝利をもたらす」
「プラ」=街
「コッテ」=元々の街の名前
さらにちなみに、ジャヤワルダナ大統領は1951年のサンフランシスコ講和会議に当時のセイロン代表として(大蔵大臣として)出席し、ソ連などにより日本分割統治案が出される中、Hate ceases not by hatred, but by love という仏陀の言葉を引用して参加国に寛容の精神を求め、日本を救ってくれた恩人である。
コロンボ市の人口は約75万、都市圏人口は200万。バンコク、マニラ、ホーチミン、KL、さらにはインドの諸都市といったアジアの大都市に比べるとかなり小ぶりで、高層ビルが建つのもこの一角だけ。手前に写る電話の像は、謎だ。

フォート地区から、一般庶民でにぎわうペター地区へと足を進める。
日曜日の朝なので閉まっている店が多い。路地を歩いていて感じるのは、ここはインドよりは東南アジアの街に近い、ということだ。我々のように明らかに異質な人間が下町を歩いていても、人々の視線が(インドのように)グサッ!とこないのは、有難い。
建ち並ぶビルに混じっていきなりヒンドゥ寺院が出現(右手)。

そうは言ってもやっぱりインドの影響は避けようもなく、とくにヒンドゥは、この国の仏教の中に溶け込んでいるとも言える。ここは完全なヒンドゥの寺院だが、仏教寺院に行ってもヒンドゥの神様が祀られていたりする。

もう少し行くと、今度はイスラムのモスク。ジャミ・ウル・アルファー・モスクと言って、観光地の少ないコロンボでは有名な観光スポットだというが、ちょっと路地に入ったところなので場所はわかりにくい。まあ、この外観なのでちょっと遠くからでも分かるんだけど。ミナレットを増設しようとしてるのか、工事中でちょっと残念な状態。
それにしても、このデザインのインパクトは凄い。

ペター地区のメイン通りはこんな感じ。小規模な商店がずらっと並び、派手に看板を掲げる。シンハラ語とタミル語が公用語だが、看板はほとんどが英語だ。道を走るのはほとんどがバスか、トライシクル(トゥクトゥク)の公共交通機関で、アジアの都市に多い「バイクの洪水」は見られない。その意味ではヤンゴンに、雰囲気が似ている。
ほとんどの店が閉まってるので人がまばらだが、普段はもっと人で溢れてる状態なのだろう。
右端にちらっと写ってる、すれ違いざまににやっと笑顔を向けるお兄ちゃん。これがインドとスリランカの最大の違いのような気がする。人の視線と、表情が柔らかい。決して多くはないが、一部日本人に熱烈なスリランカファンがいるのは、こういうところに居心地の良さを感じるからかな〜と思う。





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