hungry travelog
美しい海。うまいメシ。豪華なホテル。アジア方面の旅の記録。
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ありがとうタイ
プライサニーさんのとこでおしえてもらったネタですが、これは一人でも多くの日本人が見ることに意義があるので、堂々とネタをパクらせていただきます。タイのスーパースター、Birdが日本復興支援のために歌った曲。後半は日本語で歌ってくれてる。
3分ちょうどぐらいのところで、Bird本人がちょっとだけ出てくる。




震災復興支援では、タイの話題がよく出てくる。
先日の「発電所まるごと無償貸与」にはびっくりしたが、今日もちょっといいニュースを見かけた。

タイ国民から日本の大震災被災者に多くの義援金や支援が寄せられたことを受け、バンコクの日本大使館は31日付の地元紙に感謝を表す広告を出した。半ページを占める扱いだが、新聞社側の意向により無料で掲載された。
広告は日本とタイの国旗をあしらい、タイ語、英語、日本語で「ご支援・ご声援ありがとうございます」と記している。この日は英字紙ネーションなど2紙だけだが、1日以降少なくともあと2紙が掲載の予定。どの新聞社も「広告料は不要」と伝えてきたという。
大使館前にも同様のメッセージを書いた横断幕を掲げている。大使館員有志が約5万バーツ(14万円)を出し合って作成した。業者は「料金は要らない」と言っているというが、大使館側は「これは払わせてもらうつもり」と話している。

(時事ドットコムより、元記事

もともとこのブログに興味をもって読んでくれるような人にはタイ好きが多いと思うが、タイへの想いをますます強くした人も多いことだろう。

僕もささやかながら、フォスタープランを通じて、タイ北部のとある村に住む女の子を経済的に支援してきた。それが、ついこの前、「もはやその地域は貧困を脱して、フォスタープランの支援は必要なくなったので、支援プログラムを終了する」との連絡が入った。「親」として少し寂しいけど、もちろんこれは何よりも喜ぶべきニュースだ。
じゃー別の手段でタイに恩返ししなきゃいけないから、またタイに行ってたくさん外貨を落としてきますかね(笑)。
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Pray for Japan



  

いずれも出典:復興支援ポスター配布サイト http://pstr.jp/
パブリックドメインで転載等自由とのこと、皆さんも活用しましょう

#しばらくトップに掲示しておきたいのでエントリの日付を操作しています
闘えジャパニーズ・ビジネスマン
震災後、最初の営業日。そして「計画停電」の初日。
朝はいつもより早く、電話で起こされる。計画停電に伴い電車が動かない路線があるので、出勤状況のチェックだ。
早めに家を出るが、駅に入ってきた段階で電車は超満員、とても乗れない。一本見送り、二本目も同じ状態だったので乗るのを諦めて、ターミナル駅まで歩いた。

ターミナル駅からの地下鉄がまた、超満員。ホームじゅうに人が溢れる。乗車後も思い切り押されて新聞も読めない。そもそも一部しか電車は動いていないので、いつもより人は少ないはずなのだが、電車の本数じたいが間引かれているので大混雑。なぜ間引いて運転するのかと言えば、前の日の夜に突然発表された「計画停電」にあわせて急遽運行ダイヤを組んだので、余裕のある組み方しかできなかったのだろうと思う。

今日は東京はやけに暖かい一日だったので、朝から汗ばんで、出社。明らかに、街を歩いている人が少なかったが、結局職場に出勤できたのも6割程度。JRの長距離路線がダメなので、神奈川方面など、遠方から通う人はほとんどなすすべがなく、自宅待機。

中には、とにかく動いている路線を乗り継ぎに乗り継いで横浜から3時間半かけて来た人や、更には藤沢の家を朝出て午後3時にようやく会社に到着する強者もいた。
しかしやっと着いたところで、お客さんも出社できてないので、結局打合せは中止。社内の関係者も揃わないし、安否確認やら節電の呼びかけやら、電車が動かなくなるから早く帰れとの本部命令やらで、結局仕事にならないまま帰ることになる。

帰りにスーパーに立ち寄るが、昼間のうちにすっかり買い占められて、驚くほど品物が少ない。
魚、肉、卵、パン、牛乳なんてのはもちろん、米やパスタ、缶詰、インスタント食品、冷凍食品なんていう備蓄系のものまですっかり買い尽くされている。被災地では必要最低限しか買わない「譲り合い」が見られるとニュースでやっていたが、東京では、自分がやらなければ誰かがやるだけ、という理論なのだろう。遠慮はない。

スーパーの件はともかく、交通の大混乱はすべて直前アナウンスと直前変更を繰り返し、どこにも正確な情報を流さないまま実行に移す「無計画停電」が悪いのだと、東京電力を非難する声が大きい。
一方、被災地の人たちの辛さを考えれば、東京の人間もそのぐらいの不自由は我慢しろ、という意見がある。

心情としてはその通りではあるのだが、わかっていただきたい。
「計画停電」に反対しているわけではない。超満員電車だって、我慢する。
我慢ならないのは「計画」とやらが全然計画になっておらず、我々がビジネスの計画をたてられないことだ。

土日はテレビに釘付けだった。
何とかしたい。自分にできることはないのか。少しでも力になれることはないのか。忸怩たる思いでテレビを見ていた。
ただ、復興支援に何のノウハウももっていない僕がのこのこ被災地に出かけても、役に立たないことはわかっている。復興支援はその道のプロに任せて、僕は、僕がやるべきことをやり、僕の役割を果たすことで、この困難な状況に立ち向かう日本を支えるべきなのだ。

たとえ気持ちはそうであっても、実際には日本人全員が復興に関わるわけにはいかない。その間、経済活動を停滞させるわけにはいかないのだ。経済活動が停滞している風に見えるだけでも、株式相場と為替相場は敏感に反応する。我々は日本国のエンジンを回し続けるべく、今まで以上の勢いでビジネスを継続しなければならない。
東京電力の「無計画停電」が、その足かせであってはならないのだ。

話は簡単、単に「きちんと計画を二週間先まで開示し、その通りに実行する」だけでいい。後は、その道のプロフェッショナルたちがどうにでも処理する。
ところが「開示されている計画通りに行かない」と、どんなプロでもさばきようがない。結果、我が国の経済活動は停滞する。ただでさえ復興にお金がかかるというのに、それを稼ぐエンジンまで停止しようというのか。

3時間、5時間かけて、どうにか職場にたどりつくサラリーマンたち。
彼らに仕事をさせてあげて下さい。
東京のビジネスマン達は、「不便」にぶーぶー文句を言うようなガキではない。
俺たちが、しばらくの間は日本を支えるから、働かせてくれ。そう言っているだけなのだ。
大地震の一日、東京にて
東京に暮らす僕は、今回の大地震でたいした被害を受けたわけでもない。部屋の中で物が落ちて、少し壊れたりした程度だ。ただ、この経験は記録に残しておきたかったので、人に読んでもらうためというよりは自分の記録として記しておきたい。

大地震の瞬間、会社で打合せをしていた。地震だと気付いたときは大して大きな揺れではなかったが、やけに長く、次第に揺れも大きくなってきて、これはやばいと思った。僕は地震はあまり恐くないが、この時は本能に訴えてくる怖さを感じた。
会議机の下にもぐる。同僚たちもみなヘルメットをかぶって机の下にもぐっている。

職場にはテレビがなく、
インターネットもつながりにくいので世の中の状況がよくわからないが、どうやら東北震源の大地震だということはわかった。地震で崩れた書類を整理しつつなんとかネットで情報を集めようとするが何度かの余震を経て、避難命令が出た。皇居隣の北の丸公園へ、ヘルメットをかぶってぞろぞろと移動する。

正直、このときは東北地方で何が起きてるかなど知る由もなく、なかば遠足気分だった。
避難している人もいたが、竹橋駅付近には普通に仕事で移動中のサラリーマンが大勢、地下鉄の運転再開を待っていた。

北の丸公園について点呼をとって解散。そのまま帰ってもいいとのことだったがヘルメットを会社に置いて帰りたかったし、第一電車が動いていないのでは帰れないので、会社に戻った。

交通情報をずっとネットで見ていたが、首都圏はJRも地下鉄も全線ストップ。当面復旧しそうもないというので、とりあえず上司と飯を食いにでかける。すると、閉まっている店が多い。たまに開いている店も、入店を断られたりする。みんな帰れないと覚悟を決めてコンビニや弁当屋に買い出しに出て、一方でお店の方は電車が止まってるので店員が出社できず、やむなく営業しなかったり最小限の店員で切り盛りしたり。

飯を食っているとき、テレビを見て、初めて津波の壮絶な被害を知った。
飯のあと会社に戻っても交通機関は全面ストップだったので連れと連絡をとって、覚悟を決めて歩いて帰ることにした。順調なら二時間で歩けるはずなのでそんなに大層なことではない。

歩き始めると、いつになく道を歩く人が多い。歩いて帰る人の波で、歩道は渋滞がおきるぐらいだ。自動車の道路はそれ以上の大渋滞で、あわよくばバスに乗ろうなんて思っていた僕の淡い期待を軽く打ち砕いてくれた。

途中、区の施設を休憩場所として開放しているので利用していいよと呼びかける人がいたり、護国寺が休憩場所として開放していたり、コンビニの棚がことごとくからっぽだったり、今まで見たことのない光景に出会った。
ただ、東京は震度5強という大きな揺れの割には何かが崩れたり倒れたりしている様子はほとんど見かけなかった。

予定通り二時間で家に到着。
テレビをつけて、凄まじい現実に、言葉を失いながら見入った。
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